時計じかけのオレンジ

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作品情報

原題A Clockwork Orange
上映時間137分
監督スタンリー・キューブリック
メインキャストマルコム・マクダウェル
公開1971年

あらすじ

舞台はイギリス・ロンドン、全体主義体制の確立により生きるための労働から解放された市民。活気とやりがいのない社会で街は窃盗、暴力、SEXが渦巻く無法地帯となっていた。主人公アレックスも荒れた日々を過ごし、利己的な性格であったが、ある事件を機に投獄されてしまう。そこで受けた治療により、洗脳を受けるが次第に元の状態に戻ってゆく。

ネタバレ解説

時計仕掛けのオレンジ

この作品は1962年のアンソニー・バージェスが書いた「A Clockwork Orange」を原作として、鬼才スタンリー・キューブリックが映画化したものとなっている。この小説はもともと社会主義に対するアンチテーゼ(風刺)としてコミカルに描かれており、僕たちに強烈な印象を与える作品になっている。これは社会主義のユートピアを目指した成れの果ての姿に見える。

本作は重めの題材のわりにコミカルに描かれているのが特徴である。暴力をふるうシーンでは場面に似合わない音楽を歌ったり、また『ナッドサット語』という本作内の若者言葉などどことなく不気味な要素が多い。”非道なのにコミカル、コミカルなのに非道”、見ている人に不気味さを与える。これは風刺画などではおなじみで、誰もが一度は歴史の教科書で見たことがあるはずだ。ポップな画風でどぎついことを表現しているところなど。その観点からみると、キューブリックと「時計じかけのオレンジ」はうまくマッチしていると言えるだろう。芸術志向の強いキューブリック節が出ていてとても面白い。

説明するのが難しいが、今の時代の美的感覚からするとちょっとダサい感じの世界観(衣装、言葉遣いなど)がめっちゃ癖になる。ださカッコいい的な。

本作のキューブリック感というのはまだある。

例えば彼は『人間の見てはいけない部分』を表現するのがうまい。特にそれがみられるシーンがある。それはミスター・アレグザンダーが2回目にアレックスが歌っているのを聞いた時の表情だ。普通だったら”あのくそ野郎復讐してやる”みたいな顔をするはずだが、作中では”あいつだ!脳汁出る~”的な顔に衝撃を受けた。気味の悪さと恐怖心を刺激される。

キューブリックはアドリブを採用する監督としても知られている。例えば、作中でアレックスがアレグザンダーの妻をレイプした場面で、アレックスが『雨に唄えば』という歌を歌いながら暴行するシーンがあるがある。キューブックがアレックス役のマルコム・マクダウェルに知っている曲を聞いたところ、たまたまあの曲だったという話がある。どうやら場面とのミスマッチさ加減が良かったらしい。

ルドヴィコ治療

ルドヴィコ治療はかなりショッキングな洗脳治療である。瞬きを強制的にできなくし、ひたすら残虐な映画を見せるといったもの。暴力的なもの大好きマンのアレックスは最初はニコニコで鑑賞するが次第に薬の効果で吐き気を催すようになる。そして最悪なことに、大好きなベートヴェンの曲もこの時かかっており、催眠と紐づけられ、聞くことができない体になってしまった。

アレックスとベートヴェン

アレックスはベートーヴェンの大ファンであり、親しみを込めて彼のことを『ルードヴィヒ・ヴァン』と呼んでいる。そして彼のお気に入りは交響曲第9番。

このベートヴェンに関して興味深いシーンがあったので紹介したい。

それはアレックスが家に帰ってカセットテープでベートーヴェンを聴くシーンだ。

アレックスがかけた曲は、交響曲第9番 第2楽章だった。この第2楽章のには特徴的な世界観があり、それは、ギリシャ神話の神ディオニュソス(ローマ神話ではバッカス)についての曲というものだ。ベートーヴェンは彼をテーマにしてこの曲を作った。

ディオニュソスは、葡萄ぶどう酒の神として知られており、陶酔とうすい残虐の象徴とも言われている。そして彼のカリスマ性はすさまじく、バッカス祭という祭りを主催するオカルトの教祖でもあった。このオカルト信者は全員女性で、酔っぱらい、興奮し、乱交や人間と動物の虐殺を行っていた。

ここで本作のシーンに戻るが、曲がかかったとたんベートーヴェンの顔が映し出され、女性の裸の絵、キリストの像へとカメラワークが変わっていく。それは上記のバッカス祭をモチーフにしているので女性の絵をうつしたのではないだろうか。更にキリストの像が映し出されるのは、おそらくキリスト教が純潔と貞操を重要視する宗教であるからだと考える。

神は人間に自由意志を与えたが、本作の社会は自由意志を否定する設定になっている。そのことについての何か皮肉的な意味合いがあるはずだ。

そしてそのシーンのアレックスのナレーションにも注目したい

あぁ この陶酔 天にも昇る至福 ゴージャスの極に華麗な肉体がある。

天上のメタルで編んだ鳥か、スペースシップに漂う白銀の美酒か

音のスルーシュにかぶる鮮烈な映像

アレックス

ここから過激なカットがいくつも入ってくる。

ここでも陶酔美酒というワードが出てくるので間違いなくディオニュソスのことについてだろう。

さらに、アレックスの過激な妄想もディオニュソスの残虐な面とかさなりるところがある。自己の権威と暴力性を誇示したいという欲望も二人に共通している。

これは余談だが、刑務所で囚人たちが円になって回っている描写があるが、あれはゴッホが描いた『刑務所の中庭(囚人の運動)』からきている。

ラストシーン

出所後アレックスは多くの人から暴行を受けることになる。

キリストの教えで『右の頬を殴られたら左の頬もさし出だしなさい』という言葉があるが、これは人間の善の心、つまり『許しの精神』があってこその教えでなければいけない。選択することに意味がある。しかし反撃する権利を剥奪されているアレックスは自らその選択ができない。これはとても胸糞悪い。牧師も”本人に選ぶ能力がないじゃないか!私欲と肉体的苦痛への恐怖が彼を醜悪な自己卑下に駆り立てるのだ。そこに誠意のかけらもない。非行は防げても道徳的選択を奪われた生き物にすぎない”と意義を唱えていた。

そして国務大臣に選択を迫られるシーンに飛ぼう。このシーンでは『生活が保障される代わりに世論を捜査し元国務大臣の政権を助ける』か『その政権を倒し、自由な社会を手に入れる』かの二択を迫られる。

リハビリを終えたアレックスが個人よりも社会を優先させるはずもなく、前者を選ぶ。

しかしこれはアレックス視点で考えると、全体よりも個人を優先させていることになる。この選択はある意味本作の全体主義的な考えの批判ともとれる。

そしてラストにアレックスが”完璧になおったね”と言うが、非行少年時代のようになったというより人間に戻ったと解釈するほうがしっくりくる。しかし上で述べた通り、全体主義の一部となったアレックスは本質的にはまだ社会に操られている『時計仕掛けの人形』に過ぎないのかもしれない

タイトルの意味

まず原題の『A Clockwork Orange』というのは『コックニー』という東ロンドンの労働者階級で話される英語の言葉で、いわばスラングのようなもの。意味としては、”表面的には自然で正常に見えるが、内面的には奇妙”になる。作者のアンソニー・バージェスははじめこの言葉をロンドンのパブ内で聞いたと語っている。さらに彼は”私は、有機的で生き生きとした甘いもの、つまり生命、オレンジ色と機械的で冷たい規律あるものとの結合を暗示したかった”とも語っている。

つまり生きている人間であろうと、社会の歯車の一つに過ぎず、ぜんまいで巻かれた人形のように機械的であるということを表していると思う。

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