ショーシャンクの空に

ヒューマンドラマ

作品情報

原題The Shawshank Redemption
上映時間142分
監督フランク・ダラボン
主なキャストティム・ロビンス、モーガン・フリーマン
公開1994年

あらすじ

無実の罪でショーシャンク刑務所に収監された元銀行家アンディとずっと前から収監されているレッドを中心に繰り広げられるヒューマンドラマ。看守の囚人いびり、ゲイたちからの厳しい洗礼、また刑務所の高い塀が囚人に与える影響。そんな苦痛の多い環境でもアンディは希望を捨てずただひたすら明るい未来を思い描く。そしてある日親友であり刑務所内の調達やでもあるレッドにリタ・ヘイワースのポスターを依頼するがその目的とは、、、

ネタバレ感想

本作の魅力

まず特徴的なのは映画冒頭の殺害の犯行シーンだ。事件現場にいた当時のアンディと進行中の法廷のカットが行ったり来たり。アンディは自分に不利な証拠が提示されても淡々と無罪を主張。明らかに陪審の同情を引けない話し方。そして観衆から見ても明らかにアンディがやったとしか思えない切り取り方が僕たちのアンディへの興味を引き立ててくれる。

フィガロの結婚

このシーンは個人的伝説のシーン。実はこの曲は原作小説には入っていない。アンディが放送室を乗っ取って施設内に『フィガロの結婚』というオペラのレコードを流す場面。なぜこの曲を選んだのだろうか?

その理由は主に2つある。

ちなみにフィガロの結婚はモーツァルトが作曲した曲で、不貞を働こうとしている伯爵を懲らしめるという内容になっている。

まず1つ目はショーシャンク刑務所にはびこる悪の側面を批判するためだ。もともとフィガロの結婚は貴族を批判する内容になっており、当時はたびたび上映禁止になることも。権力の乱用、不正などを批判するという理由があげられる。

2つ目は音楽の豊かさを表現するため。本作のテーマにもなっている、希望を見いだせる手段の一つとして心を豊かにしてくれる音楽というものの存在を強調したかったからだろう。

今日にいたるまで俺はあのイタリア人の女性が何を歌っていたの知らない。ほんとのこと言って知りたくない。解らないほうがいいこともある。何か言葉にはできない素晴らしいことを歌っている。だから聞く者の胸がキューッとなる。そう思ってたほうがいい。あの歌声とともに聞く者すべてが限りなく高い空の果てに舞い上がっていく感じだった。まるで美しい鳥が灰色の檻に舞い降り、あの高い塀を消し去ってくれたようだった。ほんの一瞬ショーシャンクの全員が自由だった。

ジョーシャンクの空に レッド

とレッドが語ったようにオペラには言葉にできない魅力があり、それは音楽や創造的、芸術には人の心を動かす何かがあり、受刑者でさえ自由を感じる。リタヘイワースの映画を鑑賞するにしても同じだ。これはアンディが刑務所内でも希望を捨てない理由で人の心を保つことが大事であると考えているからだ。

”何を歌っているのか知らないが、素晴らしい歌に違いない”というセリフ、フィガロの結婚は本来伯爵を懲らしめるといった曲なので皮肉を込めているということがわかるのも面白い。

モーツァルトっていう友達が頭と心にいた。音楽はここだから意味がある、忘れないために必要だ。人の心っていうのは決して石でできているわけじゃないんだ。誰も絶対に手を触れることも奪うこともできないものがある。それは希望だ。

ショーシャンクの空に アンディ

そしてこの曲には伏線がかくされており、それはこの曲の名前と歌詞に隠されている。

実際に本作で使われたパートはフィガロの結婚の『手紙の二重唱』という題で歌詞には”松の木のそばで”というフレーズがはいっている。そうこれは終盤でアンディがレッドに向けて書いた手紙でカシの木のそばに埋められているものと非常に似ている。この伏線はおしゃれすぎてセンスしか感じない。まじ天才。めっちゃ好き。

希望

レッドのアンディに対する第一印象は”気が弱そうなお坊ちゃん”だが以外にも精神が強くどこかミステリアスな感じがレッドの興味をそそていて、レッドの”溜息一つ立てなかった”からもわかる。僕は”まるで何の悩みものない人間が公園を散歩しているみたいだ”とアンディの特徴を表現する描写が好きで、アンディの穏やかな性格、この映画のテーマである希望を表す私的な表現だと思った。この”希望を捨てない”というテーマがうかがえるシーンは他にもいくつかあるので紹介したい。

アンディとその友達

刑務所内できつい時期を過ごした後のザ・ヒューマンドラマみたいなシーン。アンディはみんなと少し離れた場所に座って、ビールをおいしそうに飲んでいる様子を見て幸せな顔をしていたのが印象的。夕日が照ってオレンジがかった空の下で飲むビールはまさに至高。見ているこっちまで幸せな気持ちになるお気に入りのシーンだ。

トミー

まずはトミーの高卒試験。アルファベットから始めなければならないほど学力がなかったトミーがひたむきに頑張りつづけ見事に合格したシーン。

ブルックスとレッド

本作で重要な対照的なシーンである仮釈放。前半でブルックスの仮釈放が決まり、我を忘れてヘイウッドに襲い掛かった。はじめはみんな”なぜ?”と思ったに違いない。しかしこれには理由があった。

ブルックスは施設慣れしてしまっていたせいで外の世界に出るのが怖かったのだ。刑務所内では重要で額のある人間だが外じゃ通用しない。前科者の年寄で図書館のカードも作ってもらえない。そしてレッドはこう続けた。

この塀が曲者なんだ。最初は憎む、それから慣れる、時間がたつと頼りにしちまう。それがしせつなれさ。終身刑ってのはまさに身の終わりだ。人間をダメにしてしまう。

ショーシャンクの空に レッド

そして実際に外に出たブルックスはこう手紙に綴った

と言って自ら命を絶ったシーンは涙なしには見れない。

親愛なる皆さん、ジャバでは何もかもものすごい速さです。子供のころ自動車は珍しかったのに今はもうどこにでもあります。世の中がやたらせわしくなっています。仕事ではマネージャーに嫌われているようです。仕事の後時々公園に行き鳥に餌をやります。ジェイクが飛んできてこんにちはって言ってくれないかといつも思っていますが来たためしがありません。夜はよく眠れません。自分が落ちていくような嫌な夢を見ます。時々自分がどこに居るのかわからなくなります。銃を手に入れてスーパー強盗を働けばまた我が家に帰れるでしょう。でももう年を取りすぎました、もうたくさんです。おさらばすることにしました。誰も問題にしないでしょう、こんな前科者の年寄が死んだところで誰も問題にしないでしょう。

ショーシャンクの空に ブルックス

そしてレッドもブルックスと同じ道を辿ろうとしていたが、ブルックスと大きく違ったのはアンディの存在だった。施設慣れを克服し、希望をもってアンディに会いに行くシーンは本作のラストにふさわしい。この二人の外での物語の対称性は見てい考えさせらる。

アレングリーンを偲んで

本作のラストで『アレングリーンを偲んで』というフレーズが出てくるがこれはこの映画とは直接関係はない。フランクダラボンの友人であるアレングリーンはショーシャンクの撮影期間中に亡くなられ、それを追悼する意を込めて入れたそうだ。

アンディとレッドが再開するシーンはダラボンとグリーンの再開の意味も込められているのかもしれない。

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